被爆80周年の86ヒロシマでの行動に参加してきました。上の写真は、早朝からの原爆ドーム向かい側で行われた集会の様子です。

原爆投下時刻の8時15分、追悼の鐘が鳴り響く中でのダイイン行動。

中国電力本社前までのデモに出発。

 中国電力本社前で、島根原発再稼働反対、上関原発の建設、核廃棄物の貯蔵施設の建設反対などを訴え座り込み行動と集会。毎年恒例のこの行動に対し、機動隊が「直ちに解散しなさい」とハンドマイクで怒鳴り続け、集会の妨害をしてきました。これは初めてのことです。

 午後からは、今回で19回目となる「平和の夕べ」に参加しました。講演は、在韓被爆者救援や証言活動を続けて来られた被爆者の豊永恵三郎さん。東京都立第5福竜丸展示館学芸員の市田真理さん。ジャーナリストの青木理さん。

 豊永恵三郎さんの9歳での呉線坂駅付近での被爆体験、母と弟は建物疎開作業前に被爆し、母は顔にやけどを負い、薬がないためキュウリやジャガイモをすりおろしたものを塗ってやけどの治療をしたこと、弟は奇跡的に無傷だったが急性放射線障害で下痢などの症状が出たが、今も元気に暮らしていることなどを語っていただきました。71年からは在外被爆者の被爆者健康手帳裁判に取り組んで、いくつかの勝利判決を勝ち取ったことを報告されました。

 市田さんは、アメリカによる1954年のマーシャル諸島のビキニ環礁での水爆実験の現実、

「死の灰」を含んだサンゴのかけらが降り、それにより第五福竜丸の乗組員全員が2~3000ミリシーベルトの被曝をしたことなどを解説され、久保山愛吉さんの死、その後大石又七さんが体験を語り継いでいることなどを報告されました。「第五福竜丸はもう海を走ることはありませんが、核のない世界に向かって今も航海中です」と結ばれました。 

 元毎日新聞記者の小山美沙さんとの対談形式で語られた青木理さんは、今、核を巡る状況は、ヒロシマ、ナガサキの体験から、人類が辛うじて積み上げてきた努力を覆そうとする事態に直面している。
NPT体制により核軍縮を求められている五カ国(米、ロ、英、仏、中)はこれを履行せず、核拡散に手を貸している。がんばっているジャーナリストたちを支え、社会全体でメディアを健全化しなければならない。と語られました。
 被爆80周年のヒロシマで、朝からの集会、デモ。中国電力本社前での座り込み行動。そして午後からの「平和の夕べ」に参加して行動し、お話を聞いて改めて反戦、反核の闘いに取り組んでいかなければならないことを痛感しました。